感想の掃き溜め

140字に収まらなかった主観

嵐と静についての考察のような妄想

 

 

CFTMDVDがいらっしゃったぞーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!れ!!!!れ!!!!!!!!!れれ!!!!、!!!

 

 

 

 

 というわけで、DVDにてCRY FOR THE MOON観ることができました。

 あれから何度も頭の中で思い返した場面をまた観ることができて、改めてあのときの感動が蘇ってきました。やっぱりとても素敵で、最高のミュージカルでした。

 

 

  再度映像で観て、公演観劇時に思っていたことが言葉になりそうだったので書き残していこうと思います。以下、内容のネタバレがありますので予めご了承くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  さて、今回はタイトルの通り、嵐さんと静さんについてです。このおふたり、CFTMの魅力溢れるキャラクター達の中でも一際胸を刺されました。その大きな理由は、2人の対比がとても素敵だと思ったことにあります。

 

 このおふたりの対比について見ていくにあたって、まずは、月の住人たちの関係性を妄想するところから始めたいと思います。

 

 そもそも、月の住人たちは皆不老不死です。とすると、おそらくある年齢以降、見た目は変化しないままのはずです。つまり、外見上は同じくらいの年齢に見える月の住人たちですが、実際はそれぞれ年齢差があるのかもしれない、と推測できます。

 その年齢差について考えてみると、やはり賢者はその言動から一番長く生きているのかな、と感じました。また、物語の中での月詠に対する台詞などから晴・豊も他の人よりも年上なのかな、という印象があります。

 月詠、弓弦、嵐、静については、それぞれへの接し方を見ても同じ年齢くらいとみてよいのかなと思います。

 そして博士。博士はやはり、この辺りの面々よりは年下のように思いました。かぐやに対する想いやそれによる行動がどことなく幼さや若さを感じさせます。

 

 というわけで、おそらく嵐さんと静さんは同じ年齢くらいなのかな、と妄想しています。(ただ、嵐さんが静さんの言動を咎めるときの言い方がなんとなくお兄ちゃん感があって、同じくらいの年齢だけど嵐さんの方が少し上なのかな、という気もします。)

 

 

 さて、ひとまず嵐さんと静さんが同じ年齢くらいだと仮定すると、ここからいろいろと妄想が広がります。

 1つ例を挙げると、地球での戦いの場面。嵐さんの刀を奪って弓弦さんに斬りかかる静さんに嵐さんは「お前が弓弦に敵うわけねぇだろ!」と投げかけます。敵うわけない、ということはこれまでもおふたりは戦ったことがあって、しかも静さんが負け続けているのでしょうか。

それはいつですか、月にある学校みたいなところで学生してたときですか、それとも護衛として鍛錬している最中に模擬戦でもあったのですか、そのたびに静さんは弓弦さんに負けてたんですかそしてそれを嵐さんは見続けてきたんですかちょっとそのへん詳しく聞かせてください浅井先生!!!!!!!!、!!!!!!

 

 

 

 

 

 取り乱しました。とにかく、嵐さんと静さんは恐らく付き合いも長く、またなにかと衝突するふたりであることは間違いないようです。

 

 さてこの衝突ですが、最初にそれがよく表れているのがお勉強の歌の中です。

 

 思いを伝えるために言葉が大切、恐れず気持ちを伝えようという国語担当の嵐さんの歌に対し、気持ちだけではだめ、大切なのは理論だと数学物理担当の静さんは歌います。

初見の際はこのシーンから、嵐さんは感情派、静さんは理性派のキャラクターなのかな、ということが伺えました。

ですが、その後のストーリーを見ていくと本当にそうなのかな?といつ疑問が湧いてきました。

 

 静さんはかぐや様や弓弦、博士に対しいつでも真っ直ぐに思ったことをそのままぶつけます。かぐや様はその静の真っ直ぐさを肯定していますが、ここで1つ疑問がわいてきます。

思ったことをそのまま真っ直ぐぶつけるというのは、果たして理性的なキャラクターの動きなのでしょうか。

 

 一方嵐さん。嵐さんはお勉強の歌の中で、思いを伝えるために言葉を選びましょう、と歌っています。この「言葉を選ぶ」という表現が、嵐というキャラクターのポイントのような気がします。嵐さんは、気持ちをなんでも言葉にして伝えるべきだ!と言っているわけではなく、自分の気持ちを正しく相手に伝えるために言葉を学んで選んで、そして思い切って伝えよう、と言っているのです。これは、感情を大切にしながらも、言動はかなり理性的と言えるのではないでしょうか。

 

 つまり、一見すると感情派で直情型の嵐さんは実は言葉を尽くすことの大切さを知る非常に理性的なキャラクターで、理論派で理性的に見える静さんはその実かなり感情に従って動くキャラクターであるのではないか、ということが物語から感じられます。

 

 この左右対称感、シンメトリー感。真逆にひっくり返るような嵐と静のキャラクターの対比が、このふたりをより魅力的にしているのかなと思います。

 

 

 

 

 

 また、ここからはさらに主観だけの妄想なのですが、先述した「嵐は静より少しお兄さん説」を加えてこのふたりの対比を見ていくとまたより趣深いです。

 

 嵐さんは歌からもわかるように気持ちを伝えるためにはそれ相応の言葉があることを知っています。そんな嵐さんだからこそ、弓弦やかぐや様に対して強い言葉を使う静さんを咎めたくなるのだと思います。また、そのときの嵐さんの様子はあいつは仕方のないやつだな、と少し呆れたような、でも見守るようなものであり、わたしには、静が気持ちを伝える言葉を身につけていくことを期待しているような姿に見えました。

 

 対して静さんは、嵐さんに対して突っかかる所といえば、うるさいところや運転の荒さなど、言ってしまえば浅い部分ばかりです。なんとなく、嵐さんに文句を言えるところを探しているような雰囲気も感じました。構って欲しい弟かよ萌える…!

 で、そもそもなんで静さんがあんなに嵐さんに突っかかるのか考えてみました。静さん的には気が合わないから、の一言に尽きるであろうとは思いますが、妄想をふんだんに入れて深読みします。

 

 さて、その理由を考えてみると、静さんにとって嵐さんが、常に少し先を行く追いつき追い越したいけど絶対に追い越せない存在であるから、なのかなと思いました。

 嵐さんが静さんの少し年上であるなら、きっと(あるのかわからないけど)学生時代やかぐや様に仕えるようになってからもずっと、嵐さんは静さんの少し先を行く存在であったはずです。同じような立場にありながら常に自分の一歩先を行く存在なんて、誰でも意識して当然です。だからこそ、静さんは事あるごとに嵐さんに突っかかっていくのかな、と思いました。また、それに対して嵐さんは本気では怒らず割とふざけて受け流しているようなところも静さん的にはイラッとするところなのかな、とも思います。静たんかわいい。

 

 

 

 散々好き勝手な妄想を述べてきましたが、そんなふうに好き勝手に背景を妄想してみるとまたより一層この物語を楽しめると思います。        

CFTM番外編月の住人たちの過去シリーズが何かしらの媒体で世に出てくることを永遠に待ってます。